1)震災について
樋口)九州は新燃岳の噴火があったが 北海道は今回の震災でどんな影響があったのかという状態では?私自身は長期的な目で見ていていざという時にすぐ動けるようにしておく。関東のクライアントさんはちょっとおかしいけど 自分では気が付いていない。銀座のお店で店員さんが当日の体験を延々と話す。東京で変わったなと思う事は脚元はスニーカー。リュック背負っている人が目につく。私としては常に心をニュートラルにしておこう。
中Y)以前からシンプルに暮らそう リュックで歩こうと実践していたが 震災があってやっぱりこれでいいなと確認した。
大)3月13日に家族が治療のため東京の病院に行った。一週間いて身体がいつも揺れている感じ。こちらに戻って安全に暮らせるのは幸せだなと感じた。
光)地震当日はJRタワーにいてすごく揺れた。子供と連絡がつかなくなって心配したが 家族が皆無事でいる事が一番の幸せ。募金も長い目でして行こう。
藤)福祉関係の仕事をしているが現地の人の事を思うと 今感謝する事が大事だなと思う。
銅)青森在住の友人の友人が福島で地鶏が売れなくて困っているという話を聞いたので買って食べた。放射能の影響がないと言っても全く売れないとか。助け合う機会が来るんだなと人のつながりを感じている。出来る事をしよう。
本)宮城県内陸に86歳の母が一人住まいしている。友人の話では一階の被害はひどい。4月になって花巻空港経由で実家に行けそうな目処が立ち母を迎えに行った。札幌に着いた翌日また震度6の地震があったので危ないところだった。今母はこちらの生活に少しずつなじんでいる。母にとってはいきなり拉致されたような気分かも。40数年ぶりの母との生活を少しでも楽しみたい。
三)北海道はまあ良かったなとは思ったけどこれからはどうなるのかと思った。
自分にできることをやろうと。自分自身の基盤をつくるためにも。
K)みんなTVを見て騒いでいたが自分は冷めていて神奈川の子供も大丈夫だろうと何故かしらないけど落ち着いていた。何度も同じ映像がTVで見ているうちにおかしくなって「これはやめよう」と見なくなった。今朝のTVで茨城の暴走族が警官の親切に触れて敵ではないと気づいて ボランティアをやっているとか。
成)新しい職場で研修期間中揺れた。人の送り迎えをしていたが 自分の車の直後から交通止めになっていた。原発反対の運動を長年やっている母は知識があるから地元の物を買うが募金はする。支援の仕方は色々だと思った。
寺)職場で色々なニュースを見た。仙台のおばさんは電気ガス水道は止まったが近所の人達と助け合って生活していた。個人的にはTVを見るようになった。普段話さない人から声をかけてもらうくらい 精神的には過敏になっていたかも。
永)丁度リンケージプラザでセミナーに出ていて3回くらい揺れていたようだ。講師が「大丈夫だから。ちゃんとしましょう!」と。ニュースや同じCMばかり見ているとおかしくなる。原発被害で避難してきた人達の支援に行ってきたが カリカリしている人もいて ここに来たのは楽しませてほしいわけじゃない 寄付品が欲しいだけだと。自分にできる事は話を聴く事。
細)当日はかでるに来ていた。直接の影響はないがこの先の影響は思った。TVよりもラジオで原発のニュースを聴いている。原発の大きなリスクを考えた。最終処理場も決まっていない。ソーラーなどが普及する国になってほしい。
澤)直の影響はなかったけど 今回のことは身体の一部を怪我したような気持ち。最初に思ったのは私は日本人なんだなあということ。自分達は無事でよかったという気分にはならなかった。何年もかかって変わらざるを得ない日本の姿を見ながら一部分でも関わっていきたい。
駒)両親は青森で停電があったり電話が不通になったり。横浜の妹から無事の連絡が来た。私の所には丁度電源が切れてかけられなかったという。携帯電話の充電器を太陽電池を買って両親に送った。妹も携帯を持っていなかったが電話より携帯メールの方が通じやすい事がわかって持つ事にした。
宮崎)当日地震のことは全く知らない。現地をTVを見て知ったつもりになるがそれは違うと思う。所詮物事は置かれた立場でしか分からない。翌日メールが来たがこちらの状況が分からないまま突然気づかう言葉をかけられても違和感の方が強かった。素直に受け 取れない。関係ができていないとお節介になるかも。菅総理や東電の社長にしても人間性を感じないのは何故か?普段からやっていることをやっているんだなと思う。これから影響が出てくる。色々な面で暗くなってくるなと。自分で何かをするしかない。ビジョンを描くこととどうネットワークを作っていくかが大事。それが力になると思う。
樋口)私達の基準について考える機会になるかも。自分をどう守っていくのかとか色々な問題提起がある気がする。今語りたいことを色々深める話をしましょう。
2)2人一組 今語りたい事を話す
<休憩>
3)同じ2人一組 「繊細で新しい分野について事前に許可をとる」
4)全体の振り返り
三)前半は震災の支援について後半は新しい職場(介護センター)について話した。利用者さんの誕生会をやったがスタッフやボランティアが歌って利用者さんに聴いてもらった。自分の考えとは違っていた。実際に相手が何を求めているかを聴いてこちら側が提供するという意思のやりとりが大事だなと。震災の支援も介護施設も同じだと。1~2年後には胸を張って紹介できるようなセンターにしたい。今後ビジョンを一緒に作りたい。
藤)初めての参加だったが 無条件にうなづいてくれている感覚がすごく嬉しかった。話す事が苦手でまとまっていないなと思ったが引き出してくださるのが心地よかった。
本)今日で2回目だが大きな顔をして(笑)たくさん聴いて頂いて嬉しかった。
光)「許可を取る」と言う感覚がなかったが いいタイミングの見本を見せてもらった。その必要性も感じた。
銅)前回野呂瀬さんがボランティアの話をしたが 「その時自分は冷めていた」と相手の方が言ったのは勇気があるなと。日本を一つにという呼びかけが多い中だし。
K)私にとってすごく繊細なことを話した。自己開示が目的だったがその途中です。
成)中Yさんと場所について共通点があった。親との関係を聴いてもらった。親の気持ちも分かるが私の気持ちも・・という繊細な話だったが ちょっと楽になった。
中Y)母に対しては子の立場だが同時に親でもある。自分の親子関係を遠くから眺める時間だった。
永)頑張れと言う言葉を聴くと被災地の人は怒るという話を聴いた。東電の社長が謝ったが人間味がない。母が認知症だが今は面倒を見すぎない。緊張感をもってもらう。自分もストレスを感じないし。細さんは自分から思い話題をバンバン言ってくる(笑)普通なら深刻なんだけど。
細)私は自分が自分に許可をして話した。相手の介護の話は許可を得て話してもらった。
駒)寺井さんとの共通項がいくつか見つかった。お互い長く参加していたが。「差し支えなければ」という言葉を最初に使った。
寺)原発関連から話して後半からは駒井さんに相談みたいな感じ。秋に東京に行くが友人とのメールのやりとりについて。もう少し突っ込んだ質問を受けたし 考えている事を整理で来たかな。